「あっ、こんなとこにあった!」と気付くためのブログ

奇想天外な発想の源はあなたがすでに持ってます。

hawaii行ってきましたー!!

先月の事ですが、家族4人でハワイに行ってきました!!

以前の記事で予約までの経緯は書きましたが、ついに行ってきました。

 

「どうです綺麗な景色でしょー!」

「あれやって、あそこに行って、楽しかったなー!」

「これウチの子供達、かわい〜でしょー!」

なんてことを読まされても面白くもないでしょうから書きませんm(_ _)m

 

そんなことより、10年前に行ったときと比べての話なんですが、

 

まずですね、来てますね。

来てますよ。

 

何って、

 

「日本」がですよ。

 

なんせ、どこ行っても行列が目立った店ってのが、日本食系の店だったんですよ。

・「ナカムラ」とかいう日本のラーメン屋(小倉智昭さんの店とか)

・「ちばけん」とかいう和食居酒屋

・「丸亀製麺」フードコートによるある店ですね

 

特に「丸亀製麺」はタダ事じゃない混みようです。

店もそこそこ広いんですが(100席くらいはありそう)、外には常に50人くらい並んでるんです。

クリスマスイブもですよ。むしろ列がUターンして二列になったりして。

いつもより混んでるんです。

「え?クリスマスイブのディナーがウドンですか!?」

イブにウドン屋には日本人なら絶対に行きませんよね。

 

並んでいる方々は西洋人からアジア系まで色々顔ぶれありますが、さすがに日本人はほとんどいないかと思います。

外人のお付き合いでとか、逆に面白い!とか、いい加減肉とパンは飽きた・・とか、ハワイのヘビロテな方くらいでしょうかね。

 

いえ、ちなみに私は丸亀製麺好きですよ。

でもね、1週間程度しかいない中で日本の倍の値段出して食べませんよ。

でも、目の前に出てきたら「やっぱうめぇ〜!!!」とか言って食べてそうですが。。

 

ネットで検索してみたら、丸亀製麺の全店舗で売り上げNo.1らしいですね。。

ま、国内は他にライバルがひしめき合ってますしね。

とは言え1位というのはすごいです。

 

みなさん、身の回りでも何でもない、当たり前のようなものが海外で馬鹿ウケすることがあるかもしれませんよ。

そんな感覚でちょっと周辺を見てもいいんじゃないですかね。

意外と商売の種が転がってたりするかもしれません。

 

あとですね、びっくりしたのが「物価の高さ」。

円安($1≒120円)ってこともありますが、ドルとしての物価が高い。

タクシーの運ちゃんに聞いても、やはりその通りだと言う。

経済が上向いているんでしょうか。

しかし、やっと12月にFRBが利上げを決めたばかりなので、それもどうかという気もしますが。

日本よりは景気の回復が早いんですかね、アメリカは。

基軸通貨の国はやっぱり強いのか?

でもそれ一般庶民は関係あるのか?

根っから民族性がスクラップアンドビルド的なもんで、タフな立ち直りをするのか?

など色々考えてしまいましたが、よくわかりませんでした。。

 

初日にあろうことかマクドナルドに入ってしまったのですが(感覚的に丸亀製麺と変わらんじゃないか!)、高い!

そもそもキッズメニューとかあるけど、安くない!

$6くらいして、

「700円超えてるじゃねーか!?」

結局4人で$31ほどしてしまい、

「マックで3700円!!」

初日から物価高と円安にショックを受けたのでした。。。

(そう考えると丸亀製麺はアリですね。。)

 

あとですね、有名なエッグスンシングスに行ってきたんですが、

まぁ混んでますね。

日本人ばかりで!

日本食系レストラン以外で混んでたのはこの店くらいですが、逆に日本人だらけでした。

なぜ、日本人ばかりと分かるのかというと、待ってると呼ばれるんですね、名前で。

それが日本人名ばかり。

こちらも値段はそれなりにするんですが、まぁ理解はできます。

マックのようなショックはありません。

でもですね、嫁がネットで調べてみたら、なんと銀座店の方が安いんですよ!

銀座店では1100円のものがハワイでは1500円位するんですよ!

なんでよ!?

 

スーパーも意外と高いしね。

どう見ても100円でしょというおもちゃが、$4〜$5ですから。。

 

物価高の話はこの程度にして、逆に安かったよ、って話を今度しましょうかねm(_ _)m

 

 

 

 

 

ハワイ旅行・・・あと1ヶ月!(現地での電話編)

5月に予約したハワイ旅行も気付いてみれば、あと1ヶ月に迫りました…(^_^)/

嫁とは何となく気構えと準備を始めようとしていますが、イマイチ進みません。。

要するに、国内旅行との特段の違いが良くわかってないのですね。

一応二人とも、海外旅行は何度か経験あるもののです。

絶対に必要なものでまだ買ってないモノは、

・スーツケース(ひとつ大きいのを持ってますが、もう一つ追加で)

・サングラス

こんな程度かと。

あと気になっているのは、

・旅行保険と現地でのレンタカーとか送迎の予約ですかね。

 

ところで、表題にも書きましたが、みなさん現地でのお互いの連絡手段てどうされてますかね??

 

現地から日本への連絡じゃないですよ、ハワイでの国内連絡です。

例えば、ショッピングセンターなんかで別行動したり、場合によってははぐれたり。

家族での海外旅行は初めてですが、国内では別行動やはぐれることなど普通にありますので。

 

で、色々それなりに調べてみましたが、選択肢としては以下かなと。

①国際ローミングを利用して、いつもの携帯から連絡する。

②インターネットを利用してLINE(モバイルWiFiレンタル)。

③現地で携帯電話をレンタル。

④トランシーバ。

⑤公衆WiFiが使えるところだけでLINE利用。

⑥何も持って行かない。

 

調べてませんが、今時でもボイスメッセージサービス的なもの有るんですかね。。

ま、あっても使わないと思いますが。。

 

で調べた結果以下のような感じでした。

①国際ローミングを利用して、いつもの携帯から連絡する。

 ⇒発信および着信側の両方で課金される。合計で1分当たり約320円ほど。

 ⇒要するに日本からハワイの携帯に電話するのと変わりません。

②インターネットを利用してLINE(モバイルWiFiレンタル)。

 ⇒モバイルWiFiレンタル。こいつが安いところでも、1日690円。嫁と自分の分とで、2個必要なので、9日間だと約12400円。

 ⇒成田で借り受けて返却する形なので、現地でレンタルできずちょっと日数的に増えてしまう。(現地レンタルもありそうですが。。。)

③現地で携帯電話をレンタル。

 ⇒1日648円というところがありましたが、秒単位課金というメリットはあるものの、結局発着信両方で1分300円ということです。

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④トランシーバ。

 ⇒セットで10000円とかお金掛けて、通話距離がやっと数十mでは話になりません。。

⑤公衆WiFiが使えるところだけでLINE利用。

 ⇒当然タダです。が、当然公衆WiFiの範囲のみです。

⑥何も持って行かない。

 ⇒どうにも困ったら、ショッピングモールのスタッフに頼むか、ホテルに電話しかないですね。。

 

ということで、嫁とも色々考えましたが、お互いケチケチ系なので、結論は⑤です。

想像するに、おそらく必要となる場面はショッピングモールくらいだろう、と。

万が一公衆WiFiが無いところで連絡が必要になったら、①で連絡を取る。

 

あとは、ホテル内のプールでも必要になるかもしれませんが、ヒルトンのプールはホテルのWiFiが届く可能性が高いのでそれも大丈夫そうだ、と。まぁ、ダメでもちょっと困る程度なので、それくらい許容範囲かな、と。

 

しかし国際電話ってまだまだ高いですねぇ。。。

 

ではまた。。。m(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

左と右

なんの話かと思いました?

そうです。左派、右派の話です。

 

ところで、wikiで左翼を調べますと、、

左派(さは)は、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる。「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的傾向の人や団体をさす。

対義語は「右翼」「右派」である。ただし右派の対義語として用いられる左派は、右翼ないし保守勢力の中で相対的に穏健・漸進的な立場を指す場合がありうる。」

 

とあり、続いて右翼を調べますと、、

「「右翼」という用語は主に、保守主義者、反動主義者を含む、伝統的な右翼と歴史的な関係がある政治勢力を示す用語として使われている。また、「左派」が共産主義社会主義をめざす勢力を指すのに対して、右派(右翼)は、左派勢力に反対して自由市場の資本主義を擁護する勢力(リバタリアニズム新自由主義など)や、国家主義民族主義国粋主義を支持する勢力を指す

とあります。

 

なんだか、微妙によくわかりません。。

 

イメージとしては、右翼は軍国主義、左翼は共産主義の感じでした。

でもそれって、マスコミや街宣車からくるイメージでしょうね。

 

具体的には、

右翼→街宣車、旧帝国陸軍、ヤクザ、ナチス

左翼→中国共産党北朝鮮、左翼ゲリラ、旧ソビエト日本共産党民主党

いやー、受身な知識です。

 

さらに彼らの主張としては、こんなイメージ。

右翼→戦争主義、軍国主義天皇万歳、保守、日本だけが良ければ良い

左翼→平和、平等、弱者の権利をもっと大切に、人類皆兄弟、無防備政策

これもかなりバイアス効いてます^^;

 

と、以前はこんな程度でした。

で自分はどっちつかずの中道かなと。

そんな程度でした。

 

そういうバイアスの状態で最近の安保法案がらみのニュースを聞いていると勘違いしますね。

仲間の国が攻められた時に一緒に守ってあげる、というのは軍事大国に対抗する場合非常に有用な方法だと思います。

NATOがそうですよね。

安保法案の目的がまるで「戦争」かのように曲解し、上のようなバイアスのかかった人たちを扇動する。

一部の政党やマスコミはこれが結局儲かるものだから喜んでやる。

とても日本国のことを考えて行っているように見えません。

 

「戦争にして国民を殺し、他の国民も殺す。こんなことはやめるべき!」

のような論調ですね。

すでに殺人狂のような表現です。

この辺は子供を持つ母親や高齢者、特に戦後教育で反戦をインプットされた団塊の世代なんかは当然のように賛成するわけです。

 

最近は少子化で、子供がありがたいですからね。

なおさらその風潮が助長されやすいですね。

 

彼らは中国が、沖縄や九州をくれと言ってきたらどうするつもりなんでしょうか?

ちなみに言ってくるといっても、当然武力交渉です。

尖閣と同じです。

 

ところで、私が今回言いたいのは実は左も右も目指しているものは同じである戸言うことなんです。

要するに「平和」です。

 

侵略戦争は私も大反対です。

でも国を守るためなら致し方ないでしょう。

 

この姿勢はなんとなく合気道を思い出します。

けして自分から敵を攻めていくことはないです。

ただ、襲ってきたら確実に仕留めます。

それもなるべくこちらの体力を使わずに。

合気道には試合がないそうですね。

攻撃する武道ではないため、試合に向かないのもあるでしょうが、そもそものポリシーが違うのでしょう。

 

左派の進める平和への道はとても自分中心に思えます。

自分の平和に対する価値観、

要するに「話せば分かる」「武器を捨てれば相手も捨てる」「無防備になることが相互友愛につながる」と本気で思っています。

その価値観を全世界の民族が理解すると思っています。

 

中国が虎視眈々とアジアを占領して、アメリカへの対抗勢力になろうとしているときに、日本が無防備作戦に出ていたら、アメリカは気が気じゃありませんよね。

 

正直「こいつらあほか!」と思いますよね。

アメリカの価値観が正しいだなんて思ってないですし、腹の底ではムカつくことも多いのですが、今どちらに依るのか言えばアメリカでしょう。

 

まるでアホウドリのようです。

※実際のアホウドリには感謝と憐憫を感じますが。。

 

私はどちらかといえば、当然右のほうが好きですが、それだけでもダメだと思います。

重要なのはリアリストであるということだと思います。

けして格好をつけるわけじゃないです。

リアリストはとても短期的にはとても冷たいことが多いと思います。

しかし長期的には日本のためになるという視点です。

つらいこともあると思います。

 

とはいえ、正直言って日本人が徹底してリアリストになれるかどうかはかなり疑問です。 

暗号を解読し、爆撃の情報を得たチャーチルがあえて無視したような判断が日本人にできるでしょうか?

 

何事もバランスだとは思います。

左がいないのも良くないと思います。

ただ、これまで左に偏りすぎたので、本来の自立した国としてやっていくためにいい加減右に立ち返り、さらにリアリズムを取り入れた観点を日本も持つべきだと思います。

 

そういう視点を自分の子供たちにも伝えていきたいと思います。

 

ではまた。。

 

区別と差別

だいぶ以前から思っていたことを書きます。

 

女性と男性

白人と黒人

健常者と身体障害者

太った人とそうでない人

などなど。。。

 

世の中、「蔑視」とか「差別」と言われる場面に囲まれていると思います。

 

これらを分けようとして、何らか発言すると即座に「差別だ!」とされることが多いと思います。

しかし、正直実際に異なると思うんです。

 

全く同じにしようとする方が無理があると。

人種差別がもっとも影響範囲が大きいと思いますが、

黒人やユダヤ人、在日を差別するというのは、加害者にも被害者にも責任があると思います。

 

加害者は不必要にその他の人に比べて差分を設けるのは良くないと思います。

ただ、結局のところどうしても生活習慣や民族性の違いから、会社や学校レベルでは問題ないが、同じ集合住宅に居住する場合は少々抵抗があっても致し方ないと思います。

 

特に宗教的に日に6回も祈りを捧げるイスラム教の人たちが多く住む中に白人がストレスを感じずに暮らせますか?と。

 

そこには根源的に容認できないものがあると思います。

それって仕方ないと思うんです。

 

忌み嫌うというより、自分との生活様式の違いから純粋に迷惑となってしまうと思うのです。

イスラム教信者としても迷惑をかける気などサラサラ無いわけで、これはもう同じ住宅地に混ざることに無理があると思います。

 

また、根本的に考え方が異なる国や民族との関係は一人二人ならしっかり知り合えばあまり問題無いかもしれませんが、数十人集まれば、あるいは全く知ら無いもの同士であれば、許しがたいものになってくると思います。

民族に代々受け継がれる思考というのは本人たちもそれほど気にしていないのでしょうが、かなり色濃く伝えられているのだと思います。

 

分かり合える。

そうなればよいですがそれは頭でわかるだけじゃダメなんだと思います。

根底の部分でずれていれば、だんだんそれが増幅されていくものだと。

 

アパルトヘイトナチス時代のゲットーのような隔離は、私も嫌いです。

 

ただ、選択肢を用意した上で、特定の民族村のようにできる区画はあってもよいのでは無いかと思います。

そこでは一定の文化も継承されると思います。

 

有名かもしれませんが、こんな話がありました。

ある国際線で白人熟年女性が自分の隣に黒人男性が座ることに腹を立て、CAに自分の席を替えるようクレームを入れました。

しかし、エコノミークラスは満席でした。

そこでCAは、時として「不愉快な隣人」のため席を移動することがあるので、今回は特別にファーストクラスに移動してもらうことを説明しました。

しかしそのCAが移動を伝えたのは、白人女性ではなく、黒人男性でした。

周囲の乗客はそのCAの機転に拍手喝采を送ったということです。

 

要はバランスだと思うのです。

やっぱり容認でき無いレベルというのはあると思います。

 

最近話題に上がる共和党候補のドナルド・トランプ氏も、女性に対する差別的発言や移民に対するかなり厳しい発言も、差別に対する社会的拒否感が行きすぎて、だれもが口に出せなくなった、いわばタブーをあえて口に出したのだと思います。

そうしたら、やはり、というか同調する人間が多かった。

ただの阿呆ならだれも相手にしないかもしれませんが、彼は凋落を経験した筋金入りの経営者。

説得力や魅力もあり、今やすっかり人気者ですね。

 

曽野綾子さんも路線としては似たようなものかもしれませんが、主張する場が少なかったですね。

人は集団でいじめるのが好きです。

その理由が社会的に認められるもっともらしい理由だと、なおさら思う存分相手を痛めつけることがあります。

「差別」という単語は往々にしてそのような場で利用されるのだと思います。

 

曽野さんの趣旨は「そこ」ではないように思います。

でも、差別主義者は「そこ」に持っていきます。

 

ちょっと話は飛びますが、安保法案=戦争主義者のように位置付ける民主党なども同類だと思います。

彼らは周囲の国が、「友愛」という言葉で「話せばわかる」と信じ続けています。

何を根拠にその自信が湧いているのかわかりません。

個人で信じて、個人で実行されるのは構いませんが、国を巻き添えにされたらたまったものではありません。

 

やはり、世の中色々な考え方の民族がいるのです。

そこは一定の区別をしながら接しないと、むしろ軋轢を生むだけだと思います。

 

区別と差別は違います。

 

その線引きを自分の中で確認しながら生きていくことが重要だと思います。

 

ではまた。。

 

 

普通と異常

A:普通の顔、普通の性格、普通の判断力

B:異常な容貌、異常な性格、異常な思考

 

通常、Aの仲間になりたいと思いますよね。

それはBの場合何をされるか分からないからだと思います。

だいたい怖い。。

 

人は「判らないモノ」に恐怖するのだと思っています。

 

逆を言えば、判りきったもの、慣れ親しんだものは良いもの、美しいものと感じるものとだと。

 

でも、その価値観はもしかすると、一般社会通念からくる幻かもしれないと最近思い始めてきました。

 

Bのようなところにこそ真実が存在するのかもしれない。

Aはいわば「無理に作られたもの」かもしれない、と。

 

普通、人は「自分はAでありたい」と思うでしょうし、そう振る舞います。

それはそれでも良いかもしれませんが、Bを頭から忌み嫌うのはやめた方がいいかもしれません。

 

結局は自分の本能として良いもの悪いものを判別するべきなんだろうな、と思います。

 

Aを好むのは安心感もありますが、他者から異常と見られたくない、まともな人間と思われたいというエゴもかなりあると思います。

 

今私が勤めている企業(某有名企業です)のオフィスにいると、みなさんなるべく均一的にふるまうので、多分にAの要素が多いです。

そうすると、これが「正解」だと思ってしまいます。

こうでないBのような部分を感じると「これは間違いだ。」と、内容より前に先入観でそう感じてしまいます。

 

でもそれは自分の本能ではないです。

自分の中での論理的な理解抜きに、一般社会的に(要は他人目線で)普通か異常かという判断基準なわけです。

 

ではその一般社会や他人て、具体的に誰なんだろうか?

 

会社であなたの前に座っている人でしょうか?

その人はすべてにおいて平均的であり、一般的と言い切れますか?

人は必ず異常な部分を持ち合わせていると思います。

それをせっせと隠しているのです。

 

その異常な部分が最近どんどんなくなってきているように思います。

同性愛者は本来異常なのでしょうが、それでもどんどん正常化されていると思います。

 

私が言いたいのは、平均化されることによって見えなくなるもの、異常な中に潜む真実に目を向けるべきではないかということです。

 

無理に平均化されたところに真実など無くて、

異常に見えるところに本来の姿というか普遍性があるように思います。

 

多分に感覚的な部分も多いのですが、

昨日戸塚ヨットスクールの校長の話を聞いた時に、

現在の一般社会的には「異常」とみなされがちな「正論」だと感じました。

でもその一見異常なところに真実があるのではないか。

耳あたりのよいものほど危ないのではないか。

 

色鮮やかな刺身やリンゴが劇薬だらけのように。。

 

ではまた。。

 

 

戸塚ヨットスクール校長

久々になってしまいました。。

こんなに間を空けるつもりはなかったんですけどね。

 

ところで、戸塚校長です。

 

40歳以上なら知っていますかね。

生徒への体罰事件で一躍有名になってしまったヨットスクールです。

 

約30年ほど前ですね。

当時は「いやあ、とんでもねぇ学校があるもんだ」と中学生の自分は

ただそう思ってました。

 

でも大学の頃でしょうか。

出所した校長がある番組に出てたんですよね。

 

富田助教授という当時は白百合女子大の心理学の先生の同席で。

 

そこである不良女子高生等々のコメントを聞きながら色々意見するんです。二人が。

 

で、富田助教授の方はアカデミックな意見をホロホロと回答してました。

正直言って、つまらなかったです。。

役立たねーな、と。

 

実は私ね、心理学科だったんです。

それでも、「役たたねー」と思いました。

 

一方の校長。

スパルタな話を展開するもんだと思ってたんですが、これがスゲーんです。

 

さすがに20数年前なので言葉は覚ええてませんが、次々と論理的に対象の高校生の背景を看破。

本人に確認したわけじゃないので、本当にそうなのかはわかりませんが、ものすごい説得力なんです。

 

高校生のコメントごとに二人が意見を言うのですが、もう途中から富田先生がタジタジになってしまって、もう完全に勝負あり!って感じでした。

 

「こりゃ本物だ!」

と思いましたね。

この人は実体験で分かってる。

リアルな人間より、本や研究で分類ばかりしている人間とは違う。

 

その校長の講義を聴きに行ってきました。

 

端的に言えば、教育は「大和魂を育てることである」と。

いわく、現代の世には本当の「男」がいなくなったと。

 

だから女性は結婚相手が見つからなくなってしまった。

ゆえに少子化になってしまった、と。

 

また、体罰と暴力は全く別なのにアホなマスコミが一緒にして宣伝してしまった。

そのことと左傾化した日教組体罰NGのプロパガンダを広めてしまい、結果教師は体罰を実行できなくなってしまった。

 

しかし、教育はけして偏差値を上げることが目的ではない。

事の善悪をしっかり自分で判断でき、精神力をつける事が必要。

それには大和魂を再生させる必要がある、と。

 

正直、結構古臭い感じはしたのですが、それでもやはり説得力があります。

今年で75歳のはずですが、まぁさすがにしっかりしてます。

 

ひとつ言っていたのは、「世界人権宣言」を原文で読め、と。

その中で権利についてどのように記載されているのかを読み込め、と。

ただし、それが正しいという事ではなかったです。

欧米の規定する権利とはどんなものか見ておけということでした。

 

上にも書きましたが、少々古臭さを感じる点はあるのですけれど、私は大賛成です。

 

褒めて伸ばす、ではなく、信念を持って叱れ!ということでした。

 

それと、不良や問題児の家庭に共通する状況として、父親が弱い又は家庭の教育に全く口を出さない、が挙げられるそうです。

 

子供は父親のポジションが不安定、気弱だったりすると、自分自身も心の拠り所が不明瞭になり、精神的にぐらつきやすくなるんでしょうね。

わかる気がします。

 

今の日本がまさにそうだな、と。

 

戦後GHQによって左傾化され自分たちの祖先の価値観や存在を完膚なきまでに否定させられたわけです。

日本人を民族として不安定なものにしたのです。

すべてアメリカのせいにするわけじゃないですが、その薬が効きすぎたようです。

 

今もって自分たちを否定することに快感を覚えるドMがはびこってますが、自分たちでは気づいてないですね。

よくないのはそれが学校教育によって連鎖しやすい環境だということです。

 

校長は何度も言っていました。

 

性善説だ、と。

 

本能が正しいものであるという立場が性善説だと。

 

私も孟子を読んでみようかな。。

 

ではまた。。

 

 

 

 

どうしても自信を持てないあなたに

特に日本人に多いかもしれません。

 

それが戦後教育の影響かどうかは置いといて、自信は持ちたいですよね。

 

世に言うポジティブシンキングとか、

サイコサイバネティクスとか、

持ち出すまでもなく、そういう前向きな考え方になれるのであれば、

どれだけ気分が楽だろうかと。

 

人は自分の能力がわかりません。

正確に言うと、測れません。

認識するには、誰かに測ってもらわないといけないんです。

しかも名前をつけてもらわないと、自信につながらないんです。

 

それは単に他の人に伝えやすいからではなく、

他の人の前に自分で認識できないからです。

 

TOEIC900点!

司法書士

漢検1級!

 

これらは全部他人につけてもらった名前です。

すると人は安心するんです。

これで、俺は英語バッチリだ!とか。

他の人間よりはるかに漢字が読めるし書ける!とか。

 

でもそれはある側面でしかないことを忘れちゃったりするんです。

 

そこから頑張ることを忘れちゃったりするんです。

 

今日のお題ですが、

色々な自己啓発系の本出てますよね。

私も幾つか読みましたし、いい本だなぁと思えるものもたくさんあると思っています。

 

でも、だいたい共通するのは、

「〜という(ネガティブな)思考から抜け出しなさい。」

「〜という(ポジティブな)考え方になりなさい。」

という結論でしょうか。

 

それ自体は確かにそうですし、私なんかはそこに至る過程の論調に同意していたりするのですが、

 

自信をなくしているような人が果たしてこのアドバイスをどれだけ実現できるのだろうか?と、ふと疑問に思ってしまいます。

 

「そんなことは百も承知。それができないから困ってる。」

と言いたいのではないのかな、と。

 

結局は考え方ではあるんですが、

自分の思考の方向をなるべくポジティブな方向に向けてみる努力は必要だと思います。

 

それは自分のためより先に他人のためになると信じて。

それが巡り巡って自分の充実感として帰って来ると信じて。

 

たとえば、仕事上でとあるメール返信に1時間かかってしまったとします。

「他の人なら5分で済むよな。。」

「そういう時間をかける意味のないところでこだわってしまうのは自分の悪いところ。」

「ここで使ってしまった時間や労働力を他の人たちに結局カバーしてもらっている。」

とまぁ、悪いように考えればキリがないです。。

 

正直言って、たしかに1時間はかかりすぎですね。

その点は反省点としても、「では改善すれば今より他の人の役に立てるということ。」に気づいて欲しいです。

 

上のような人たちは、いつでも自分はマイナスで「改善」は一般平均値に持っていく当たり前の所作である、と勘違いしていると思うのです。

 

実際、そんな「一般平均値」なんて幻想です。

みんながみんな「一般平均値」をすべて備えているわけじゃないです。

 

逆に言えば、上のような人(あなた?)にも「一般平均値」以上の能力が必ずあるんです。

 

世の中、逆に図々しいくらいポジティブな思考の人もいます。

そういう人はそういう人でちょっと心配になりますが、たいていは人に元気を与える存在であることも多いと思うので、それはそれでも良いのかな、と。

 

あなたの場合は、その「一般平均値」のレベルが常に高いように思います。

比較して自分が低いところを一生懸命探している。

 

どこか、他人に迷惑をかけたくないという一心が強すぎるのかもしれません。

正直言いまして、他人にまったく迷惑をかけないことなど無理です。

 

ワタシ、今「迷惑」といいましたが、正確には「世話」です。

 

人の「世話」にならないようにするのは無理です。

 

あなたはその他人の「世話」が自分のために行われたものとばかり思い込んでいるのです。

 

違います。

 

その「世話」はその世話してくれた人が「(あなたに)そうしたい」からしているのです。

 

もちろん、だから感謝する必要がない、という話ではないですよ^^

 

時間が来たので、今日はここまで。

ちょっと中途半端ですみません。

 

ではまた。。。