左と右
なんの話かと思いました?
そうです。左派、右派の話です。
ところで、wikiで左翼を調べますと、、
「左派(さは)は、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる。「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的傾向の人や団体をさす。
対義語は「右翼」「右派」である。ただし右派の対義語として用いられる左派は、右翼ないし保守勢力の中で相対的に穏健・漸進的な立場を指す場合がありうる。」
とあり、続いて右翼を調べますと、、
「「右翼」という用語は主に、保守主義者、反動主義者を含む、伝統的な右翼と歴史的な関係がある政治勢力を示す用語として使われている。また、「左派」が共産主義や社会主義をめざす勢力を指すのに対して、右派(右翼)は、左派勢力に反対して自由市場の資本主義を擁護する勢力(リバタリアニズムや新自由主義など)や、国家主義・民族主義・国粋主義を支持する勢力を指す」
とあります。
なんだか、微妙によくわかりません。。
イメージとしては、右翼は軍国主義、左翼は共産主義の感じでした。
でもそれって、マスコミや街宣車からくるイメージでしょうね。
具体的には、
左翼→中国共産党、北朝鮮、左翼ゲリラ、旧ソビエト、日本共産党、民主党
いやー、受身な知識です。
さらに彼らの主張としては、こんなイメージ。
右翼→戦争主義、軍国主義、天皇万歳、保守、日本だけが良ければ良い
左翼→平和、平等、弱者の権利をもっと大切に、人類皆兄弟、無防備政策
これもかなりバイアス効いてます^^;
と、以前はこんな程度でした。
で自分はどっちつかずの中道かなと。
そんな程度でした。
そういうバイアスの状態で最近の安保法案がらみのニュースを聞いていると勘違いしますね。
仲間の国が攻められた時に一緒に守ってあげる、というのは軍事大国に対抗する場合非常に有用な方法だと思います。
NATOがそうですよね。
安保法案の目的がまるで「戦争」かのように曲解し、上のようなバイアスのかかった人たちを扇動する。
一部の政党やマスコミはこれが結局儲かるものだから喜んでやる。
とても日本国のことを考えて行っているように見えません。
「戦争にして国民を殺し、他の国民も殺す。こんなことはやめるべき!」
のような論調ですね。
すでに殺人狂のような表現です。
この辺は子供を持つ母親や高齢者、特に戦後教育で反戦をインプットされた団塊の世代なんかは当然のように賛成するわけです。
最近は少子化で、子供がありがたいですからね。
なおさらその風潮が助長されやすいですね。
彼らは中国が、沖縄や九州をくれと言ってきたらどうするつもりなんでしょうか?
ちなみに言ってくるといっても、当然武力交渉です。
尖閣と同じです。
ところで、私が今回言いたいのは実は左も右も目指しているものは同じである戸言うことなんです。
要するに「平和」です。
侵略戦争は私も大反対です。
でも国を守るためなら致し方ないでしょう。
この姿勢はなんとなく合気道を思い出します。
けして自分から敵を攻めていくことはないです。
ただ、襲ってきたら確実に仕留めます。
それもなるべくこちらの体力を使わずに。
合気道には試合がないそうですね。
攻撃する武道ではないため、試合に向かないのもあるでしょうが、そもそものポリシーが違うのでしょう。
左派の進める平和への道はとても自分中心に思えます。
自分の平和に対する価値観、
要するに「話せば分かる」「武器を捨てれば相手も捨てる」「無防備になることが相互友愛につながる」と本気で思っています。
その価値観を全世界の民族が理解すると思っています。
中国が虎視眈々とアジアを占領して、アメリカへの対抗勢力になろうとしているときに、日本が無防備作戦に出ていたら、アメリカは気が気じゃありませんよね。
正直「こいつらあほか!」と思いますよね。
アメリカの価値観が正しいだなんて思ってないですし、腹の底ではムカつくことも多いのですが、今どちらに依るのか言えばアメリカでしょう。
まるでアホウドリのようです。
※実際のアホウドリには感謝と憐憫を感じますが。。
私はどちらかといえば、当然右のほうが好きですが、それだけでもダメだと思います。
重要なのはリアリストであるということだと思います。
けして格好をつけるわけじゃないです。
リアリストはとても短期的にはとても冷たいことが多いと思います。
しかし長期的には日本のためになるという視点です。
つらいこともあると思います。
とはいえ、正直言って日本人が徹底してリアリストになれるかどうかはかなり疑問です。
暗号を解読し、爆撃の情報を得たチャーチルがあえて無視したような判断が日本人にできるでしょうか?
何事もバランスだとは思います。
左がいないのも良くないと思います。
ただ、これまで左に偏りすぎたので、本来の自立した国としてやっていくためにいい加減右に立ち返り、さらにリアリズムを取り入れた観点を日本も持つべきだと思います。
そういう視点を自分の子供たちにも伝えていきたいと思います。
ではまた。。