自分自身を信用するということ
でっかい夢とは?
なんなんでしょうかね…?
でっかいというのは、物理的な話なのか、金額なのか…。
昔、ドラゴンボールの歌に、恐竜に玉乗り仕込みたいとかいうのがあったのですが、正直言って嫌いでした。
なんかどうもただ物理的にデカイだけで、それをもって自分たちはスケールが小さいと言われてるようでイヤだったのです。
(そもそも私自身がドラゴンボールの悟空のような天真爛漫&純真無垢なキャラクターが嫌いというへそ曲がりなのもありますが…(´ω`))
それましたが、大きければいいというわけでも無いと思うのです。
また、お金も一定の尺度には使えるかもしれませんが、やっぱり道具なわけですよね。
本来商売の媒介でしか無いはずのものを目的としてしまい、内容は問わないとするのは不健全だと思うのです。間違いの元とも言えるかもしれません。
結局のところみんな幸せになりたいというのが究極の目標だと思うのです。
「今も十分幸せだ」
という人もいるでしょう。
それは何よりなのですが、であればその幸せをずっと維持したいことでしょう。
幸せになることについて否定される人は基本的にいないだろうとして、問題は「幸せ」の中身ですよね。
どうすれば、あるいはどういう状況が自分にとって幸せかです。
じっくり考えたことありますでしょうか?
いわゆる一般的な幸せ像なるものを自分にも当てはめてませんでしょうか?
それはそれで一旦良いとして、では何故その状況が自分にとって幸せに感じるのでしょうか?
例えば、結婚して初めての子供が出来、3人での団らんを楽しんでいるひと時なんかです。
何故幸せに感じるのでしょうか?
ここからは人それぞれだと思うのです。
ここで一般的な回答を探そうとしたなら、あなたは自分の人生を生きていないと言えるかもしれません。
そして、何に幸せを感じるのかを突き詰められたなら、それがあなたにとって人生とは何なのかの回答かも知れません。
またあなたの夢のあり方にもつながると思うです。
でっかい夢とはあなたの人生においてこれ以上ない幸福感や充実感を与えてくれるもののことだと思うのです。
一般的にでっかいと思われるかどうかなど、どうでもいい基準です。
問題はあなたの人生に対する影響力です。
今一度あなたにとっての幸せとは何なのか、それはどうして幸せと感じるのかを、極力主観的に考えてみてください。
その先に「あなたの夢」がありますから。
ではまた。
夢
子供の可能性
子供は勝手
子供はワガママ
子供は未熟
子供はバカ
口に出して言わずとも大人の一般的な子供のネガティブなイメージはこんなところでしょうか。
もちろん良いところも沢山ありますが、それとて大抵は上から目線で見下ろしての感想です。
子供に政治の話しますか?
トランプ大統領の話しますか?
哲学の話しますか?
どうせ分かるわけがないと思いますよね。
あるいは、そんな話しても聞くわけがない、と思いますよね。
でもそれって我々大人の思い込みかもしれませんよ。
昔テレビでやってた池上彰さんの「週間こどもニュース」は子供もその為にキャスティングされてるんで、興味ある雰囲気なのは当たり前ですが、でも、本当に興味を引く伝え方をしたら聴いてくれると思うんです。
実際うちの娘が小学2年の時にお金の話をしたんです。
単語は使ってませんが、内容は銀行の役割、利子、FRB、ニクソンショックあたりです。
絵を描きながらなるべく伝わるように噛み砕いて話しました。
ここで言っておきますが、うちの子は特別頭がいいわけでもないです。5段階ならオール3て感じです。要は普通です。
でも、じっと聴いてくれました。
そればかりでなく、話が終わった後に「(FRBが)ずるいじゃん」と。話の趣旨も理解もしてくれていました。
時間にしておそらく20分くらいでしょうか。
私がここで言いたいのは、小学校でも世界レベルの出来事や、世の中の仕組みの話をどんどんした方がいいのではないかという事です。
四則演算や方程式、英語やプログラミングも良いですが、そもそもそれらは何に使うのか、何のために使うのかが重要ですよね。
大人はそんな事当然と思っているかもしれませんが、子供はただクイズのように叩き込まれているだけです。
最近やっと地元の企業や農家などに社会科見学に行ってリアルを学ぶケースも増えてはいるようですが、子供たちの頭の中で普段の勉強とつながっていないように思います。
常に何のために算数を学ぶのか、国語が役に立つのかを意識する必要があります。
さらには自分は何のために勉強するのか、です。
世の中を広く知る事で、自分はこうしたいとか、何をしたい、こういうことが世の中に必要ではないかという事を考えるのだと思うのです。
地元の勉強ももちろん重要ですが、それだけでは視野が狭くなります。
世の中には様々な価値観があります。
だから戦争が起きるし、摩擦が絶えないのです。
その糸口となる知見をなるべく早い段階で伝えるべきだと思うのです。
それが日本のためでもあり、世界のためになるのだろうと本気で思っています。
時間が来ましたので今日はこんなところで。。。
恐るべき敵
裏評価
わたし、管理職やってるんですが、今月から新しい部署を見ることになったんですよ。
そこで感じてるんですが、仕事が良くできて評価が高かった人が必ずしも人間的に優れているかというとそうでは無いわけです。
そりゃそういうもんでしょ、と思われるかもしれませんが、初めは何となく期待しちゃうんですよ。
だって上司から見ると助かる存在ですから、そのムードで人間性も見たくなっちゃうんです。わたしも人間ですから。
でもここ2週間ほど関わってみると、仕事をこなす能力とは別に、その人の人間性と言うか性格も見えてくるじゃないですか。
うちの会社では、管理職間でやり取りする情報の中に、部署を引き継いだ際にその部下の仕事能力面とは別に、性格とか傾向とかの人格的な面の情報も引き継ぐんです。
もちろん前任管理者の主観ではあるんですが、これが非常に大切なんです。
ともすると先入観になってしまう可能性もありますが、そこは大抵の管理職は冷静に記載しているため、あまり偏った情報でも無いので、ワリとそのまま参考にしてます。
仕事能力は経験とともに変わることがありますが、人格的な面はそうそう変わらないですよね。
で、それを参考にしながら実際にその人を見て見ます。
すると大抵当たってます。本当にそうだなと思う事が多いです。
ただもちろん、他にもどんな特徴があるかな、と見ますよ。
何度も会話など重ねるうちにその人が見えてきますよね。
上司が変われば態度も変わるという人もいます。と言うか多かれ少なかれみんなそうですね。
全くと言っていいほど変わらない人はむしろ要注意だと思います。自分を出してない可能性があります。
それはさておき、いくらかその人の「人となり」を知ったら、その上で大まかなその人の特徴や傾向を自分なりに組み立てます。
これは点数的な要素はありません。
あくまでわたしの主観で見るその人の傾向です。
また、女性は輪を作る傾向が強いので、複数いるときはその間で常に情報交換が行われていると思った方がいいとわたしは考えてます。
だから、わたしがある部下に言ったことは他の人にも伝わっていると考えます。それも伝わる際にはいい形である事は少ないだろうと。
なので、わたしはどんなに愛想よくわたしに接してきてもその部分はあまり信じません。
裏の表情というのは思っている以上に辛らつなものです。
それを何度も目の当たりにしているだけにそう考えるようになりました。
わたしは相手のふとした眼差しや態度に注目します。
そういう非言語の方がよほどその人の考えていることを語っている事ってありますよね。
仕事の内容がかわっても人間性はなかなか変わりません。
でも、その人の社会的な評価は最終的には人間性なんだろうと思ってます。
それゆえ、わたしは自分の部下にそれを伝えたいですが、なかなか難しいですね^_^;
学校の科目
学校の教科は細分化されており、他の教科に被らないようにしてカリキュラムを組んでいる。
しかし実生活実社会では単教科に依存した出来事などほぼありえない。
故に生徒側は勉強することに意味を見出すために、テストで良い成績を取るという目標を見立てるか、その教科の専門家になるかという選択をせざるを得ない。
いずれにしろ実社会とは必然的にズレが生じてしまう。
そのためこれからは総合的な教科が発達してくると考えられる。
試験の採点が困難であるため採点に関して色々工夫されると思う。