「あっ、こんなとこにあった!」と気付くためのブログ

奇想天外な発想の源はあなたがすでに持ってます。

教育について

・生活にはお金が必要。お金を稼ぐためには仕事が必要。より高給の仕事であれば、それだけ物質的にも環境的にも豊かになるはず。だから、より高給の仕事に就きたい。

・より高給と言ってもリスクが大きいものは難しい。

・なるべくリスクが無く、安定していて、高給と言えば、大企業や銀行などか。

・しかしそれらに入社するにはまず高学歴でないと面接すらできないのが現状。

・ゆえにまずは高学歴であることが、将来の幸せな生活へ結びつく。

・これはごく自然な発想に思える。

 

・しかし重要な点を見過ごしている。

・それは、結局お金が目的となっていることである。幸せという形のないぼんやりしたものはこの場合、すべてお金で買えると思っている。

・また、仕事の内容についてはほとんど検討されていない。一般的に立派に見えるものであればよいという認識か。

・親がそうであれば、その子供もそういう認識になる可能性は高い。

 

・お金に隷従していることに気づかず、自分の人生の大半をお金のために我慢して過ごすことになる。

・その状況について疑念を持たないように学校教育が成り立ってしまっている。

・大企業に入りやすい人材ということは、いかに企業側にとって都合よい人材かということでもある。当然のように企業に隷従することにつながってしまう。

・まれにその体制に我慢できずに飛び出す人間もいるが圧倒的に少数派である。

・会社を飛び出すことは、残る人間からすれば、リスクが高いようにしか見えない。

 

・しかし、多数派が残るそういった企業は社会に不要なものを生産していることが多い。

・社内の仕事にしてもほとんどが不要、あるいは役に立たない作業が多い。それでもそれらに対して給与を支払う。そしてそれで生活する。大半が無駄な作業なのに。

・我々は何をしているのだろうか?ママゴトだろうか?

 

・本当に必要なことだけ考えれば、こんなに時間が必要だろうか?

・しかし現実は、だれも大して考えずに目の前の仕事のみをこなす。そうすれば一応給料はもらえる。周囲の人間もそのようにしているから、特に自分だけ異例ということはないので、そのまま続ける。そして、周囲と同じように不満を持ち、それを同じように発散し、同じようなことに満足する。(愚痴、TV、買い物など)

・非常に限られた範囲で限られた行動を毎日同じように繰り返している。これが、世の中に確かに貢献できている実感があれば、それはそれでよいと思う。しかし、そんなケースはまれではないだろうか?

 

・教育すべきは何なのだろうか?

・大企業入社へ向けて学習することが正しいのだろうか?

・そうではないかもしれない、と考える父母も多いだろう。しかし、彼らはほかの選択肢を思いつかない。

・ほかの選択肢は、どれもこれもリスクが高いように思われるからである。

 

・テストの点数が高い低いで一喜一憂。

・高ければ親はせいぜい日ごろのマナーを注意するくらい。

・低ければいつまでも勉強し続けろという。遊ぶことは悪だと考える。

・これは正常だろうか?本当にあるべき姿だろうか?

・その子の将来は明るいのだろうか?

・さらには日本の将来は明るいだろうか?

 

・たいていの場合、ある程度の業績を上げた人が子供のころどのように勉強していたかを聞くと、特段猛勉強していたというより、普段から好奇心が旺盛だったとか、本をとにかく読んでいたとかいう話が多い。

・テスト勉強一辺倒で大成したという話はとんと聞かない。

・そんな成功事例のようなものを聞くにつけ、たいていの人は「やっぱりすごい人は違う。うちの子は凡人だからテスト勉強し続けるよりない。」と決意を新たにしてしまう。

 

・親、特に子供に影響力の強い母親が社会経験をしっかりと積んでいないことが多いのではないだろうか。

・あるいは一定の業務だけやっていればそれなりの生活が保てるという認識しか、社会人としても感じていなかったのかもしれない。

・そもそも女性の場合上昇志向が少ないことが多いので、そうなりやすいのかもしれない。

・要するに企業に隷属する形だ。それを子供にも反映させる。少しでも「安定して、高給の企業へ」となる。

・それがより幸せとなる礎だと。

 

・無理もない発想かもしれない。

 

・今の親の前の世代はまさにそのような社会通念を体現してきたような人が多く、それを見て育ってきたのだから無理もない。

 

・しかし、時代とともに状況は変わる。それは自分が見てきた範囲でもそのはずだが、特段ひどい目にあったことが無いため、貧困を経験せず、これからもそうだろうとなる。

・これを変えるには、何かショックが必要なのかもしれない。

リーマンショックはあったが、個々の生活まで影響があった人は私の周囲には少ない。

・それを避けてこられたのはラッキーかもしれないが、逆に無頓着に生きてしまう元凶を無意識に育んでいたのかもしれない。

・こういった人たちにいくら言ったところで、思いを新たにするのは容易ではない。

・いつか本当に来る危機を待つよりないのかもしれない。

 

・ほんのごく一部の人間だけが、世の中を俯瞰(ふかん)し、周囲の出来事を冷静に見たときにその事実に愕然とし、自分の中での常識が覆される。

・その時、あなたは事実と幻想のどちらの道を選ぶだろうか?

・まるで映画「マトリクス」に出てくる、薬のカプセルだ。

マトリクス カプセル に対する画像結果

 

 ・わかる人間にはわかる。わからない人間には、というより分かろうとしない人間だろうか。両者の存在の割合は大体1:9なのかもしれない。

・ここに気づく道筋としてはいろんな切り口があるかもしれないが、お金に関わるものが最も強力で被害が少ないかもしれない。例えば、株で大損するとかのショック。

・命に係わるようなレベルだとトラウマになることも多いだろうし、逆に極端な認識に陥るかもしれない。

 

・しかし、できればなるべく若いうちにこの見方に気づきたいものだ。

・そのためにはまずその両親が気づくことが必要かもしれない。まだはっきりとはわからなくても、どうもそうらしいというレベルでも良いので。アクションを起こすことが重要では。

・しかしどうやって分かってもらうのかが難しい。

・全く分かっていない人でも聞けばなるほどと思うかもしれない。

・しかし、分かろうとしない人はなかなか困難だ。そんな親の子供は自力で将来そういったターニングポイントに出会えればよいけども、こればかりは分からない。