会社への不信
やっぱり大企業はなくなっていくと思う。
組織は仕事を細分化していくので、どうしても面白くなくなる。
それでも評価しなければ給料を決められないから、無理くり評価基準を決める。
そうすると、意味不明な評価基準が出来上がる。
書いてあることはもっともらしいけど、まったく実態に合っていない。
でも皆格好をつけることだけはうまくなってしまっているから、「こういうものだ」と自分も周りも納得させてしまい、結果何のために仕事をしているのかを考えなくなる。
いわば、人生思考停止状態。
これについては、昔から偏差値という名の判断基準に慣らされてきた世代には自然に感じてしまい、むしろ居心地が良かったりする。
仕事は数字。
数字は正しい。
人の感覚はあてにならない。
確かにそうかもしれない。
でも数字はやっぱり一材料に過ぎないと思う。
その数字を正しいとみるかどうか、活用できるかどうかは受け手側の主観に頼るものだと思う。
でもそんなことをなるべく排除してただただ数字を信じることが組織人のあるべき姿かのように考える人たちが多い。
そして、そういう人たちこそが上へあがっていく。
そうやって、さらに数字管理が徹底される。
「見える化」
ひと頃、私の会社でも流行りました。
というか今でも呪文のようになっています。
これを言われると、否定できない雰囲気に圧倒されてなにも反論できなくなります。
反論しようにも、「見える化」に対抗するには、自分の出す数字が不正確かもしれないというような流れになってしまい、正に墓穴を掘る形になります。
それでも、この言葉への極端な信仰心は恐ろしい。
今、私の会社でもAI化やロボット化などを強力に進めようとしている。
AIに仕事を奪われるのでは!?と戦々恐々になる人たちもいるが、AIはまだまだそんなに万能でもない。
任せられるタスクはほんの一部分だけだろう。
それでも発達してきたのは確かではあるが。。
私はAIが仕事を奪うのではなく、むしろ人間がAIになりたがっているように思える。
AIはどんどんファジーになっていくので、機械化と言った方がよいかもしれない。
どんな成果も数値で評価しようとし、どんな仕事も細分化しないと気が済まない。
タスク管理表で進捗を管理することがマネジメントだと思い込んでいる。
何のために?という部分が「仕事だから」でかたずけられている。
何のために仕事をしているのだろうか?
評価のため?
上司の指示だから?
会社の利益のため?
あなた一体何のために生きてるんですか!?
と問いたくなる。
起きてる時間の8割は仕事に使ってるんですよ!
こういった言葉はほんの5年ほど前には周囲に通じませんでした。
でも最近ちょっと違います。
少しずつですが、耳を傾けてくれる人が増えてきたような気がします。
誰もがどこかで不安というより不信に感じているのかもしれません。
会社という組織に対して。