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差別と区別

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LGBTを差別するな!

と言われますよね。

口には出さずとも、そんな雰囲気満載です。

それはそれで同意するんですよ。私としては。

でも行き過ぎは嫌だなと。

 

でないと、どこかで暴発して逆にどこかで徹底的な差別を受けることになるんじゃないかと。リンチとか。

 

「差別」って言葉は社会的に強いんですよね。今は。

そのうちに差別を理由に何でもかんでも要求してくるとかね。

我々はLGBTなんだから

LGBTのためのトイレを用意しろ」

「男女の区別をつけるものをすべて排除せよ」

「学校の制服も同じにしろ」

 

黒人差別、部落差別、ユダヤ人差別、在日差別・・・

 

差別っていろんなところにあると思いますが、行き過ぎるとそれを利用するようなやつも多くなってくるわけで。

 

しかもそういう奴の言葉の方が力を持ってきたりして。

 

黒人差別、部落差別、ユダヤ人差別、在日差別、ハンセン氏病・・・

この中で、部落民ユダヤ人については私は全くピンとこないし、

最近では「自分たちから言ってないか?」という気がしてならないのですが、

そうはいっても過去様々に差別的扱いを受けてきた方々がいるのは確かなので、

「気にしなきゃいいじゃん」のようなことは言えません。

 

「差別は絶対にだめだ!」

否定はしません。

でもなぜダメなのか、真面目に考えたことありますか?

これをちゃんと考えて意識しないと、洗脳されます。

洗脳=「理由を考えさせない」ということかと。

 

「差別は考えるまでもなく、絶対的に悪だ!」

と。

私が思うにこういう完全に片方に偏った価値観て怖いと思うんですよね。

 

上にも書きましたが、「なぜ」が重要だと思うんです。

でないと、差別という言葉だけが一人歩きして、差別らしきものはすべて悪、となってしまいます。

そうすると、その内容よりも、差別とみなされたら終わりということで、みんな安全を取って無用に遠巻きになってくると思うんです。

 

つまり、差別の対象になりそうな人たちや施設なんか含めて、まったく近寄らなくなってしまうと。

でも、避けていると思われたら最後なので、そもそも存在していることにすら気づいてませんというテイに。

 

自然とその対象者には誰も声すら掛けなくなると。

 

なので、何が言いたいかというと、結局バランスが大事なんだろうな、と。

どうしても「区別」は一部必要なんだろうなと。

 

差別という行為は、区別した後に扱うレベルを下げることだと思うんです。

私としてはたしかに差別は良く無いと思うものの、区別は必要だろう、と。

男女平等っていっても、男女の区別はしないとまずいでしょ。

 

区別することすら「差別だ!」と言い始めたら、そういった人たちにケアもできなくなりますよ。

 

車椅子の人にエレベーターゆずる。

電車の中で、妊婦さんに席をゆずる。

 

親切はその人の境遇を慮る区別があってこそ成り立つんだと思いますし、行きすぎた差別はそういった区別をも否定することになりかねないので、そもそもどういったことが差別にあたるのかをちゃんと考えないといけないですよね。

 

では。。。m(_ _)m