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哲学を語る人

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学のある人は難しいことを言うものですね。
でもそれを世の人はありがたく拝聴します。


何故か?


それはブランドがあるから、というのと自分の理解できないような難しいことをいうからでしょうか。
知識として知らないことを言うのであればまだわかりますが、哲学の世界に必要な知識など本来は無いと思います。


世の人は当然「リアル」の世界に生きています。
哲学者は「想定」の世界に生きています。


リアルを見ながら想定をしますよね。
でその想定はリアルを裏付けるものだといいます。
世の人はそんなこと普段考えないから、「何言ってんのかよくわかんないけど、すごいねー」となります。
でも哲学者のやっていることはあくまでリアルの裏付けの想定でしかありません。

 

哲学なんて感性の世界です。
それを理解しようとするから難解なんです。


さらには国語の授業なんかで、それを他人が教えようとするからさらにおかしな解釈が生まれます。


書いた本人が言うならまだしも、他人が、それも複数の他人が解釈を教えようとするから釈然としなくなるわけです。
そしてついには哲学も国語も嫌いになってしまう。。

 

本来何のために読むのかといえば、自分のために他ならないですよね。
他人の意見を理解することが最終目的としていれば、それは勝手やっててくれという趣味の世界になります。

 

書いた本人の意図を理解するのは、あくまで自分の人生にとって有益ではないかと信じるからではないかと。


あるいは自分の考え方とは異なるものを覗いてみたいからではないかと。


しかし、それは結局自分流の考え方へのつなげ方にすべて依存します。


とすれば、問題は受け止め方であると。
けして正しく著者の意図を汲み取ることが目的ではないと。

しかし、一旦は理解しようと努めなければもったいないですね。
折角他人の経験や思想に出会えるのですから。

 

ではまた。。。m(_ _)m