どんな家に住みたいですか?
みんなそれぞれ夢を持っています。
でも大抵の人は夢の実現を「あきらめることを前提」にしています。
なぜでしょう?
それは、周囲の人たちが昔から、常々「夢はあきらめるもの」ということをせっせと刷り込んでいるからです。
あたかもそういうことを分かることが「大人の証明」であるかのようにです。
誰もが持つだろう夢の一つが『家』だと思います。
そうじゃない、という方もいらっしゃると思いますが、まぁここはちょっと聞いてみてください。
で、ついでに考えてみてください。
衣食住の『住』の話です。
けして無駄じゃないと思います。
というか、どうでもいい話ではないと思います。
特に家庭を持てばなおさらです。
どんな『家』に住みたいですか?
ひとまずお金のことは考えずに。
イメージしてみましょう!
とにかく、都会の高層マンションでしょうか?
何より便利で、夜景もきれいで、人生のステージが上がったような・・・
それとも、田舎の大きな一戸建てでしょうか?
空気が良くて、家の前には広い庭に家庭菜園、子供達の大きな笑い声・・・
やはり、通勤範囲でできるだけ豪勢な家でしょうか?
都心の勤め先から1時間から1時間半程度で、庭もそこそこあって、床面積120-150㎡、なにより自分の書斎・・・
しかし実際には大抵、そうではないですよね。
それは、通勤の不便さとか、学校を替えるとか、何よりお金とか。。
理由はいくつかあると思いますが、それぞれ書き出してみてください。
本当に実現不可能でしょうか?
もっともくじけそうになることは多分「お金」ですよね。
欲しい家はどうしても1億円以上する。
でも今の自分には買えてもせいぜい4000万円。。
到底無理なので、夢を見ることすらあきらめます。。
こんなとこでしょう。
別にワタシはここで「じゃ1億稼ぐ方法をお教えしましょう!」とか言いません。
そんなのは今やちまたにあふれてます。
それは話のネタとして挙げるとしても次の段階として、ここではその前段として、「想いを具現化する」ということです。
具体的に空想して、リアルに想いを馳せていくのです。
それも一度ではなく何度も。
例えば、箇条書きにします。
・間取り
・土地、住所
・金額
等々・・
で、ネットなどで物件を実際探してみる、通りすがりの不動産屋の広告を見てみる、はたまた住宅展示場や実際物件の見学に行ってみる。
で、家の外観を描きます。
下手でもいいんです。
実際にはプロがちゃんと具現化してくれますから。
さらに、間取りを描きます。
いきなり現実的でなくても良いと思います。
さて、実際いくらくらい掛かるか。
似たような物件を探してみて、見積もってみる。
ここで重要なことは「質的」な部分で、妥協してはいけません。
都内に住みたかったのに、「もう田舎でいいや」とか、
逆に田園地帯に住みたかったのに、「通勤範囲の便利な町でいいや」とか。
そうすると、想いが拡散して弱くなってしまうのです。
こだわりが無い想いは、いつしか「どうでもいい夢」になってしまいます。
内容はどうでもよくなり、「想うこと自体が目的」になってしまいます。
で、結局「簡単に実現できる範囲」のことまで引き下げてしまうのです。
これで夢が実現できないと考えるのは、そもそも「実現させる気が無い」と思われても仕方ないと思いませんか?
「夢は大きいほどいい」
なんてなことをよく言いますね。
子供には。。
でも大人や、社会人になった人には言いませんよね?
どうしてでしょうか?
ワタシが思うにヒエラルキーの社会ではあきらめてしまうことが自尊心を傷つけずに済むと考えがちだからだと思うのです。
逆に行きます。
大きな家に住みたい!
六本木ヒルズに住みたい!
地下室、自分だけの書斎、広い庭、車が3台置ける駐車スペース・・・
もちろん、それに見合う生活スタイルを維持することも必要でしょう。
ここで大事なのは、「これを本当に実現するにはどうすれば良いか」と本気で考えてみることです。
「今の自分の状況は、自分が望んだ姿である」と言います。
自分には分不相応だとか、どうせ無理とか言って、自分の価値を判断してしまうと、本当にそうなってしまうのです。
少々無理めでいいのです。
そうした夢を具体的にどうすれば実現できるのかを考えて、空想して、妄想していると、だんだん物事を大きく捉えていくことができるようになってくると思います。
どうすればもっと稼げるのか?
この給料はなぜこの金額なのか?
どうして俺はこの仕事をしているのか?
他の人たちはどういった仕事をしているのか?
それはどんな役に立っているのか?
社会に対して必要な仕事とは何か?
最後に、
夢の実現は結果論だと思います。
ここまで言っておいて「オイオイ!」という感じかもしれませんが、意図的です^ ^
でも初めの入り口は具体的な妄想から始まるのだと思います。
それは自分勝手でも、物欲的でも全くかまわないのです。
むしろ、いかに格好をつけないかの方が重要です。
「社会のためになるように!」
なんて想いは高尚でよいのですが、それ本心ですか?
いいんです、俗物的で。
大事なのはそれを実現すべく方法論をじっくり考えるということです。
でもさすがに犯罪はダメですよ^_^;
ではまた...m(_ _)m