世の中「あたりまえ!」
世の中一見複雑なこともよくよく目を凝らしてみるとあたりまえが重なっただけという感じがしませんか?
仮に、今、車道を走る車が突然横転したとします。
それだけ見ると「運転手のミスか?」「何かにぶつかったか?」と原因を想像しますよね。
でも、例えばそのどちらでもないとき、人は「なぜだ?」「原因不明だ!」 となるかもしれません。
しかしよくよく見てみれば、 ホイールを止めているボルトが粗悪な部品だったため錆びていたとします(聞いたことありませんが・・・(^_^;)。
サビでねじ山がもろくなる→あたりまえ
もろくなったボルトが緩んできた→あたりまえ
ゆるんだボルトがはずれた→あたりまえ
同じタイヤのその他のボルトも同じように緩んできた→あたりまえ
少なくなってきたボルトがだんだん支えきれずついにすべてはずれた→あたりまえ
その瞬間タイヤがはずれた→あたりまえ
結果車は横転した→あたりまえ
とまぁ、、、少々無理あるかもしれませんが、
一見複雑に見える出来事も、絡まった糸のごとく一輪ずつ抜いていけば必ずほぐれるように、単純なできごとの重なりということだと思います。
しかしですね、その結果が衝撃的であればあるほど、人はその結果のみに気がいってしまい、ついには「神のいたずら」だの「悪魔のしわざ」だのと言ってしまうものなのです。
数学や科学も結局あたりまえの積み重ねであることを実証する学問なのでしょうね。 でも、突き詰めようとしても、やはりそこは解明出来るあたりまえも限界があるわけで。
数学、科学にも限界があるように。。。
もちろん、その後の時代で解明されるかもしれませんが、 分からないものを分からないままにするのも釈然としないので、そういったものは哲学とか宗教というものにおさめてしまうのは人間らしい知恵ですね。
哲学は仮説であり、宗教は幻想とも言えるのかも知れません。
2014/10/08